(主に)君の顔が好きだ

あなたとなら 人生駄目にしたい

伊野尾くんが好きだという絶望

(Hey!Say!JUMPの10周年記念コンサートツアー『I/O』に行ってきました!ネタバレもレポートもないただのポエマーオタクブログです)

 

わたしがジャニオタになったきっかけは世代ど真ん中で嵐さんなんですけど、それと同じくらいのタイミングで伊野尾くんを知って早7年。ついにコンサートに行ってきました。
人生初のジャニーズコンサート。正直死ぬほどいい席だった。自分でもちょっと引いた。
それで、コンサートが始まって伊野尾くんの乗ったなんかちっちゃいトロッコみたいなのがすぐ近くまで来たんです。2回くらい。もうなんにもできなかった。ただぼーっと伊野尾くんを見上げてた。いつもそうなんだろうけど伊野尾くんもぼーっとわたしたちを見ていた。まるで暇つぶしに来たコンビニで陳列棚に並ぶ買うつもりもないカップ麺を見るような乱雑さでわたしと伊野尾くんは目が合った。全国どこにでもあるカップ麺のわたしはもちろん伊野尾くんの表情を少しも変えなかった。それでもわたしはコンサートの間ずっと伊野尾くんを見ていた。
思えばずっとそうだった。好きになったばかりの頃のわたしはまだ本当に小さな子どもで、たまに音楽番組に出ているのを見つけては、さして興味もなさそうに画面を見つめて、端で踊る姿を髪型や衣装を目印にただぼんやりと見つめた。何も成長していないわたし。遠くの方でテクテクと歩く後ろ姿を見て思った。わたし伊野尾くんが好きだ。
終演後わたしは途方に暮れた。生きてるだけでこんなに好きなんてどうしたらいいんだろう。その時わたしの好きは顔や体の造形とか言葉遣いとか笑い方なんて次元をとうに飛び越えていた。伊野尾くんが人ではなくて、例えばただのスライムや糸くず、ついには実体を持たないただのデータみたいになっても好きなんじゃないかと思った。つまりそれはわたしは永遠に伊野尾くんを好きでいなきゃいけないということに等しく、それは紛れもない絶望だった。わたしは絶望していた。怒りも悲しみも虚無さえも伴わない純粋な絶望。
帰りの電車でおにぎりを食べながら泣きそうな気持ちだった。今食べているおにぎりも、家に帰って寝ることも、明日から始まる補習も、帰着する先のわたしは今や伊野尾くんが好きというだけの生命体だ。
なんならわたし明日18歳になって色んな権利が手に入るんですけどもはやそれもわたしの権利なのか定かではない。許容量を超えた伊野尾くんへの好きを背負って生きるこれからの人生に希望なんて見えなかった。でもなんで全然いやじゃないんだろう。
この気持ちが一体伊野尾くんにだけ感じるものなのかそうじゃないのか、そもそもまたJUMPのコンサートに行ったらまた全然違う気持ちになるのかわかんないんですけど、備忘録としてブログに残しました。文章がキモすぎてごめんなさい。能天気オタクなのでもっとアホなブログ書きたいです。今用意してるのは「PV男優になってほしい濵田崇裕」です(我ながらにタイトルがクソ)