(主に)君の顔が好きだ

あなたとなら 人生駄目にしたい

伊野尾くんを好きなわたしをかわいそうだと思ったことなんて一度もない

(2017年に書いた下書きです。しまっておくのもなんなので公開します)

 

めちゃくちゃ昔の話を蒸し返すようであれなんだけど、今年の元旦はマジで人生で一番辛い元旦だった。親戚で集まっておせちを囲んで、孫世代の人数が少なかったので自然とわたしの話になって、学校だ受験だ部活だのの話から世間話のトーンで叔母さんにさらりと「そういえば伊野尾くん熱愛報道出たよね」と言われたのだ。

(そんなことあったんだ!?と思った人は知る価値もないしょ~もない報道なので全然調べる必要もないしむしろ無駄なこと言ってマジでゴメンダヨ...って感じなんですけどこの数ヶ月間ずっとモヤモヤしてたのでやっぱりブログにしますね)

今だったら「アァ?????よくかわいい姪っ子が好き好き言ってるアイドルの熱愛の話できるな?????人の熱愛どうこういう前にその破綻した人格どうにかしろ????オ???」くらい言えたんだろうけど(言わなくていい)、その叔母さんは昨年「伊野尾くん最近よく見かけるよ。かわいいね」と声をかけてくれていて、しかも他の叔父さんやらもやんややんやネットニュースの慈悲もねえガセネタを言い出し始めてなんかもうシンプルに辛くて頭が真っ白になった。正直それまで全然気にしてなかったのだ。仕事減らないといいなぁ~とかそんなことしか考えてなくて、裏切られたとか、悲しいとかは全く感じていなかったのだけど、その日初めてめちゃくちゃ辛いと思った。そして多分わたしはそんなようなことを言ったんだと思う。伊野尾くんが好きだから関係ない、とかなんとか。そうしたら話がおもしろくて好きだった叔父さんに言われた。「伊野尾くんを好きなせいでこんなことになってかわいそう。」

 

伊野尾くんを好きになったのはわたしが小学生の時だった。その頃まだ伊野尾くんは黒髪で、完全にめちゃくちゃ顔が好きだった。すでに顔ファンの素質がすごい。嵐めあてで買ったMyojoで見つけて、こんなにかっこいい人がいたんだ!と思ってMステでHey Say!JUMPを見かけたら必死に伊野尾くんを目で追った。

それからだいぶたってリトラがおもしろいと友達に言われて観たら、フワフワの茶髪で「百姓一揆や~」とかなんとか言う伊野尾くんがいた。なにかわいくなってんねん!!!?!話違うやんけアアン!!?!って白目むいたけどやっぱり顔が好きで気づいたらJUMP沼にズブズブだった。

ちょうどそのタイミングで伊野尾くんの10000字を読んだ。発売のずっと後だったはずだから、誰かがブログにまとめたものを読んだのだと思う。伊野尾くんってめちゃくちゃめんどくさい人なんだな、と思った。だって、テキトーで、いつも低燃費で、楽しいことしかしたくない伊野尾くんなら、泣ける話の一つや二つテキトーに話せばいいのに、なんでそうかたくなに「楽しい話でみんなに笑ってほしい」なんて言うんだろう。めんどくさくて、それでいて、めちゃくちゃ好きだな、と思った。伊野尾くん、そして伊野尾くんの人生の全てを信頼して、全てを委ねて、大好き!って言いたいと思った。

 

わたしの伊野尾くんへの好きは誰にとっても不可侵のものだ。叔父さんや叔母さんはもちろん、伊野尾くん、そしてわたしにさえ立ち入ることのできないものだ。わたしの好きになった伊野尾くんは伊野尾くんがこの先どうなろうと変わらなくて、わたしがどうなろうと伊野尾くんを好きだったわたしを殺すことはできない。わたしの伊野尾くんへの好きが例えわたしをかわいそうな状況に置かせたとしても、どうなる訳でもないのだ。それは誰も望まなくても太陽が毎日東から昇るように、ただあり続けるだけのものなのだから。

 

叔父さん叔母さん、わたしが小さい頃から可愛がってくれてありがとう。理解してもらえないかもしれないけれど、わたし伊野尾くんを好きでいることで幸せにしてもらおうと思ったことなんてありません。まして伊野尾くんに幸せにしてもらおうなんて。例え道端でわたしが殴られ蹴られ首を絞められ死にそうな状況なのを伊野尾くんが素通りしたとしても、わたしの伊野尾くんへの好きはちょっとも変わらないでしょう。それはわたしの愛が思いとか軽いとかそういうことではなく単に種類の違いです。尽くし尽くされるところ以外にも愛は産まれ、その愛から何も産まれないことはわたしにとって少しも珍しいことではないのです。